響き合って生きる、ということ。


昨年10月の天河大弁財天社奉納演奏での出会いから4ヶ月。
2/13に、笛奏者の雲龍さんとのはじめてのコラボイベントを開催しました。

雲龍さんもわたしも、普段から楽譜なし、
インスピレーションのもとにアドリブというスタイルで
演奏しているので
先日のコラボレーションも、
お互いの響きをうけとり、感じながら
また響きを重ねていく…という対話のような時間となりました。

雲龍さんとわたしだけでなく、
スペースUという小さな空間に集まってくださったみなさまもまた
それぞれの抱く響きを重ねてくださった方々です。

あの1日のことは、繊細すぎてどうにも言葉で表現しにくいのですが
三昧琴を演奏するわたしにとって
記念すべき1日になったことは確かなのです。

立ち会って、見届けてくださったみなさま、
ありがとうございました。

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※写真は、川村かなえさんからお借りしました。

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さて、響きというと
最近、いろいろな方とお話ししていて
あらためて感じていることとつながります。

ご縁もまた、響きあいのひとつの形だということです。

ともするとわたしたちは、ついつい外側に目をむけてしまいがちです。

ものすごくわかりやすい例で言うと、
売上がいくらだとか、地位とか、人より突出した能力だとか。

でも、自分が本当のところ、一緒にいたい人は誰でしょう?
共に時間を過ごしたい人は誰でしょう?
弱っている時に思い出す人、そばにいて欲しい人、
相手が弱っていたらそっとよりそってあげたい人は
どんな人でしょう?

たとえ一時的に離れたり、その行動に疑問を感じても見守り合える人。

そしてなにより、お互いの在り方を尊重しあえる人。

そういう人とは、能力や財力、影響力などの表面的なものありきではなくて
在り方とか、その人が芯から発している、
理由はわからないけれども、
「交換」ではなく、「好感」とともにお付き合いできる人、
なのではないかと思います。

講師、お客様、友人、知人…呼び名としての関係性はいろいろあれど
最近は、気づけばまわりがほとんど年若い友人たち、
(一回り下は当たり前、へたすると娘か?というくらい若い)
ということが多いわたしですが
そんなことすら気にならなくなるくらい。

いまご縁をいただいてつながっているみなさまも
信頼できるヒーラーさん、セラピストさんも
その、お仕事ぶりが素晴らしいのはもちろんなのだけど
それ以上に、存在そのものがどこか可愛らしくて魅力的で
「いてくれるだけでいい!」という人が多いのですよね。

その、「可愛らしい」とか「魅力的」と感じる感覚というのは
あくまで個人的なものですから
理由はわからないけれども
どこか自分の内側のセンサーが
その人に反応しているのだと思います。

その反応こそ、共鳴です。

時には、実際に会っていないけれども
その人の写真や、発信しているメッセージで
共鳴することもあります。
でもそれは、そこに「うそ」がないって
やはり受け取るこちらの内側のセンサーが
ぴーんと来ているんでしょうね。

話は戻りますが、
この「いてくれるだけでいい!」って感覚。
人に対しては言えるけれども、
自分がその言葉を受け取るのはすごく難しくて、
すぐになにかしたくなっちゃう。
「役にたつ自分」とか「なにかできる自分」として
振舞おうとしてしまうのが難しいところ。

でも、思い返せば、愛すべき我が友人たちは
これまでにもわたしがどんなにこんがらがっていたり
ときどき混乱して道から逸れたりしてしまっても
「あ〜あ」って言いながらも見守ってくれたりしていたものです。

わたしも、誰かに対して
そんな風に遠くから見ていることもあります。

そんな、根っこの部分でつながり、共鳴できる関係を
少しずつ、ひろげていけたらいいなと考えています。

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